January 16, 2005
ユリイカ
この「ユリイカ」も多少変わった雑誌である。副題(というのだろうか)を「詩と批評」とし、実際に詩の投稿のコーナーなどもあったりするが、あくまでこの雑誌のキモは毎号の特集である。頁数の多くは特集に割かれており、毎号作家や思想など一つテーマを取り上げ、広い受け皿で掬っている。
そもそも「ユリイカ」は、メジャーな雑誌ではないので、どこの本屋でも手に入れることができる類のものではない。床屋にも銀行にも歯医者の待合室にも置かれていないだろうし、図書館だって置いていないところがある。そういうわけで、「今月のユリイカ読んだ?」という会話の分布率も極めて低いように想像される。それにも関わらず、ぼくは「ユリイカ」を無視して生活することができない。
ここでとりあげた『黒田硫黄』の他に、「ユリイカ」が特集で扱ったテーマを幾つか枚挙してみると、『谷崎潤一郎』『ブックデザイン』『高野文子』『村上隆vs奈良美智』『ポール・オースター』『ケルアック』『ポリセクシュアル』『バタイユ』『60年代ゴダール』etc... 多少意図的なセレクトで挙げてはいるが、こういうテーマが特集されていると、個人的嗜好をくすぐられるのでやはり目が向いてしまう。目立たないけど、視界の隅で気になる事をされているようなものだ。『源氏物語』の次号の特集が『ビョークの世界』だったりと、テーマの振り幅と飛び方にも特徴があるが、それでもさすがに『黒田硫黄』の特集号が出た時には驚いた。タイミングとしては『アンダルシアの夏』の公開に合わせてはいるが、コマーシャルとしてではなく、あくまでネタとしてとらえているし、それ以上に漫画以上のものとして黒田硫黄が扱われていることや、これだけのページを割く批評の対象になるということが嬉しかった。上述が、『村上春樹を読む』ではなく、特に『黒田硫黄』特集号を取り上げた理由である。割と長めの対談が納められているのも、露出の少ない黒田には珍しいので加点。というわけで、どこまでが前置きなんだかわからなくなってしまったが、2003年8月号特集黒田硫黄についてのレビューである。
「詩と批評」と銘打っている以上、特集記事のテーマは批評の対象であると考えるのが当然な気がする(ほとんどの特集テーマが、まず‘詩’とは結びつかないのも不可解ではあるが)。雑誌ではこういう「特集もの」はそこまで珍しくないが、ユリイカでの特集のスタンスは、7割で持ち上げて、3割で引き締めるという感じで進められる。個人的な意見としては、6:4ぐらいのバランスで展開すれば、もっと緊張感を持って読めるので面白いのだが、疲れてしまいそうでもある。
そもそも批判や批評という言葉がマイナスなイメージに定在していることが、今の批評文を規定し、批評家の思考を限定しているように思うのだが、少なくとも批評は物事の本来の価値を正しく判断し、言語化する行為である。この緊張感を失わないバランス感覚こそが、本来批評家と呼ばれる人達に最も持ち合わせてもらいたい資質なのだけれど、このバランスを失うと、批評は批評で無くなることがしばしばだ。
そう言うわけで、少なくともユリイカに関しては、この特集のセレクトと、批評のバランス感覚という点において、評価に値する雑誌だと思っている。
それにしても、そもそもユリイカってなんだろう? アルキメデスの“Eureka”のことだとは思うのだけれど、関係あるのだろうか…
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