September 16, 2004
細雪 / 谷崎潤一郎
さて純文の一本目なんで、それなりに相応しそうな作品を、というセレクト。
『細雪』が谷崎の作品の中で、最も優れた作品の一つであることは間違いない。文庫本にして上中下の三冊構成なので、かなり長編であるのだが、物語の長大さが作品全体の質を押し上げるという例は、それほど多くは無い。一つ一つのシーンを高いレベルで成立させるだけの文章力と、よほど上手くストーリーを流すことができないと、単なる冗長な物語になってしまう。そういう意味で『細雪』は、数少ない好例と言える。
物語の大まかな筋は、Amazonでも参照してもらうとして、ここでは少し、市川崑によって映像化された『細雪』と、原作との比較を軸に置いて見てみることにする(最近映画を見たから)。
さて映画『細雪』は、映像の捉え方と、キャスティングという点に於いて、非常に秀逸な作品である。京都出身のぼくが見る限りでは、言葉のボキャブラリやニュアンスは高いレベルで再現されている。またアングルや、随所に色彩・明暗を際立たせたカット等に見られる捉え方は、映像美としても優れたものである。谷崎の持つ(特に初期の作品に色濃く見受けられるような)一面を、作品全体が良く体現しているという印象だ。
一方で、ぼくが小説『細雪』感じた印象は、映画のものとはかなり違うものだといえる。色彩は映画の映像によるものほどコントラストを強く感じるものではないし、物語の流れも緩慢とは言わないまでも、非常に緩やかだ。それは恰も、物語中の時の流れが、読者自身が活字を拾っていくために要する時間に同期するかのように感じられる。実際、物語中では数年という年月が、一つ一つしっかりと描写され、過ぎてゆく。『細雪』という物語は、非常に些細な日々の集積として成り立っている作品なのだ。そんな中で、毎年姉妹4人がそろって京都へ花見へと繰り出すくだりは、この物語のパースペクティブの視座として存在していると言えるだろう。例え色々なことがあっても、姉妹はやはり京都の花見に出掛け、ひとつの楔を物語に残していく。
映画はその性格上、時間の制限を大きく受けざるをえない。140分という時間の中で、結末を見せなければならない映画においては、数年の年月が流れたような様子はほとんど読み取れないし、時間の流れがもたらす微妙な人間関係のひずみも表現することは難しい(そのためか、映画だけの仕掛けのようなものも見受けられた)。
小説(あるいはもっと広い意味で活字)は、情報メディアとしては些か減退の感を免れない。テレビ・web・携帯に代表されるマルチメディアと比べると、単位時間当りに得られる情報量が非常に少ない。本がメディアとしての効力を維持することは、ますます難しくなるだろう。それにもかかわらず、このような小説を読むことで、物語そのものと時間を共有するという、非常に稀有な体験をすることができる。
『細雪』は現在でも、読書の楽しみ方の幅を広げてくれる可能性を持つ、数少ない作品である。この作品を原文で読むことができるという幸運をぜひ感じてもらいたい思う。
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