星と月は天の穴　/　吉行淳之介

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• 11:15 PM
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• カテゴリー:フィクション

 
講談社 / 講談社文庫, 1971

　吉行淳之介の作品の中では「星と月は天の穴」は、ボリューム・内容の両方からみても、こぶりな印象を受ける作品だ。「砂の上の植物群」「驟雨」といった吉行のメジャータイトルとは比べるべくもない。そうは言っても、吉行淳之介らしいと言う意味ではこれほど“らしい”作品は他にあまり無いとぼくは思う。

　吉行淳之介は、ぼくにとっては多少複雑なネームバリューを持った人物である。彼の通称として巷でよく聞かれそうなものとしては、「第三の新人」「対談の名手」、あるいは単に「大御所」。しかし、それだけではなかなか汲み取りきれないものがある。もちろん彼自身の多面性がその本質にあるのは間違いない。

　吉行自身もよく他の作家を題材にエッセイを書いていたが、逆に他の作家のエッセイに書かれた吉行淳之介という人物像は象徴的で面白い。吉行淳之介の書く小説は、ほとんどすべて「男と女の世界」を題材としたもの(あるいは例外もあるのかもしれないが)だが、自らが体現者である吉行の評判は、女の話＝吉行淳之介といった具合で語られている。これでは、彼の引き出しのほとんどが、実体験からのものではないかと思ってしまう。

　そうした印象もあって、本作も”私小説的”要素を多く含んだ小説である。登場するのは、中年作家である矢添克二と、女学生の瀬川紀子、そして娼婦の千枝子。主として、彼等の間の関係と、その揺れ動きが描かれる。物語の進行と併走するように、矢添は小説を書き進める。その小説中では、矢添と同年齢のＡと、女学生Ｂとの関係が(矢添にとっての)現実とリンクして書きつづられていく。矢添と紀子との関係が、ＡとＢの関係に微妙な影響を与えながら進行し、一方で現実が作品の鏡像として、小説に背を押されるように進行する。そしてこの構造は、“私小説的”な作品の有り様によって、もう一つ外側の現実を含んだ枠組みを持ってくる。その枠組みでは吉行が矢添であり、矢添がＡにあたる。165ページそこそこというボリュームにもかかわらず、この作品はこの二重の枠組みによって、非常に人工的な匂いのする広がりを獲得している。三嘆するのは、吉行が小説内のミクロに対して、自らをマクロとしてその模範たりていることではないだろうか。それを考慮して自分を魅せているのならば、大した作家だったのかもしれない。

　見方次第では露骨かもしれないし、単純に技巧として見たときには拙劣さが見受けられる部分ではある。しかし、作品としての魅力の大きな原動力になっているのは確かだ。

　もうひとつ、作品のテーマとして『性』と同列に重要なものは『孤独感』だ。主人公の男が、現実の世界にどれだけ関わりを持っても、決して周りとは交わることのない空気。あるいは、世界と男との間に存在する見えないヴェールのようなずれ。こうした世界観は、つねに吉行の作品の根底にある。矢添が女と関わりを持っても、矢添と女の距離が離れたり近づいたりしても、それによって女が現実から遠ざかりこそすれ、矢添が現実に近づくことはない。そうした過程は、悲しいほどに繰り返されて、まるで儀式的な行動に昇華されている。目的と手段が入れ替わるように、男はいつも選びようがなく孤独感の中に描かれている。

　最後に、タイトルについて。小説中の、矢添の書く小説のタイトルとして『星と月は天の穴』という言葉は本文中にも登場する。綺麗な星空に耽っている紀子に、矢添は「あんなものは空の穴ぼこだよ」と語る。それこそが矢添の、そして彼の横にいる紀子の、現実との乖離を表すメタファーであり、川村次郎の解説の最後にもあるように、この作品が持っている、欠落故に輝くという可能性のアイロニーであると言えるのではないだろうか。