June 24, 2005
地底旅行 / ジュール・ヴェルヌ
- kitworks
- 02:55 PM
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- カテゴリー:SF
やっと二本目のSFだが、今回もヴェルヌ。ヴェルヌについては、他のいくつかの作品も読みたいと書いた覚えがあるが、「月世界へ行く」以外を読んでみて、少し前回のレビューを書いたときとはヴェルヌへの印象が変わった。そしてその変化は、少なくともプラスのベクトルのものだったので、ヴェルヌで再びSFのレビューを書いてみることにした。今回は「地底旅行」について。
主人公のアクセルは、見識豊富な鉱物学者であり厳格な叔父でもあるリンデンブロック教授に半ば強制的につれられて、アイスランドにある死火山の噴火口から地球の中心を目指し地底世界に降りていくというストーリー。16世紀に書かれた錬金術師の古い記録を頼りとして、地球の中心が高温のマグマ状でないことを実証する、というリンデンブロック教授の目的は、140年経った今なら多少滑稽に映る。その自説を堅守するリンデンブロック教授の姿は、確固とした決意と滑稽さの両方が垣間見えるし、あたかもこの物語を体現しているかのようだ。
はじめに、「月世界へ行く」からヴェルヌの印象が変わったと書いのだが、ぼくにとっては「地底旅行」の方が読み物としての魅力に勝っていたようだ。140年前の作品云々という色眼鏡を通す必要も無く、作品そのものがとても魅力的でクオリティの風化が少ない作品だと感じた。
「月世界へ行く」と比べて、単純に面白いと感じた理由の最たるものとして、キャラクタ一人一人の個性が確立されているということがあるように思う。主要な登場人物は、アクセル、リンデンブロック、そしてハンスの三人。リンデンブロックの豪胆で頑固な性格とは対照的に、アクセルは温和で従順だ。それが故に、いつも叔父のリンデンブロックに振り回され、望まないような目にあうこともしばしばということになる。許婚のグラウベンをいつも思い出しては、もう二度と会えないかもしれないことを嘆き、少なからぬ悲しみに打ちひしがれているのは読者の同情を誘う。もう一人、特徴的なキャラクタとして、旅先案内人のハンスの存在が挙げられる。アイスランドの猟師であるハンスは、ほとんど何もしゃべらず、地の底にいても定期的に報酬を受け取り、報酬以上の仕事をこなす。とても頼りになるハンス。実務面でもハンスがいないとほとんど話は進まないので、ほぼ台詞が無いことがむしろ物語の中での、彼の存在感をとても強めている。このように、文字通り三者三様な人物が、議論を戦わせたり助け合ったりする中で、互いの理解を深めていくというのが、この作品における冒険小説としてのひとつの魅力的なフェイズだ。
この作品で描かれている地底世界は、19世紀という世界観からすると、とても象徴的だ。噴火口から地下へともぐり、およそ1.5ヶ月の間は完全に土や鉱物に閉ざされた狭い洞窟内で話が進行するのだが、その先にはまったく別の世界が待ち構えている。それはまったく未知の世界へと踏み出すということと同時に、地球という世界への回帰が二重性をもったメタファーとして存在している。
そうした点から見ても「地底旅行」は、「月世界へ行く」のように知識やデータを”リアル”な手段として用いて肉付けを行うのではなく、純粋に想像を先行させた上でサイエンティフィックにフィクションを成立させているということが、深みのある醍醐味となっているのではないだろうか。それは言い換えると、逆にSFとしての性質が薄いということになりかねない点ではある。しかし、ヴェルヌの小説が持つ魅力は、サイエンティフィックであることだけや、あるいは冒険的な要素だけで成り立っているわけではない。何より小説としての魅力は、単一のファクターを抽出して得られるものではないのだから。
付け足しになるが、この本(あるいはヴェルヌのシリーズ)では挿絵も魅力的だ。カバー画はリウとしか書かれていないので、ヴェルヌと同時代のイラストレーターだったかどうかは不明。
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